英語学習理論

運動神経は遺伝?それとも学習で向上するの?

前回のブログの最後で、次回は「運動神経や英語などの第二言語を習得する能力は、遺伝と学習のどちらに、より影響を受けるかについて、考察する」としましたので、今回はまず「運動神経」について考えてみようと思います。

そもそも私がこの種の発達・学習理論に興味を持ち始めたのは、昨年、小学校の教員免許認定試験を受ける上で教職教養という科目を勉強する必要があったのですが、その中で、この発達・学習理論は必須の分野となっていました。そこで、これまでこの種のテーマに対して、数多いる学者・教育者たちが様々な実証実験を重ねながら、科学的・客観的な根拠をもって、それぞれの考え・立場を明らかにしてきたことを目の当たりにし、「なるほど…。」と思わされたのと同時に、一方でそれはその当時の仮説や条件に基づいた結論でしかなく、実際に自分も指導者として、自分の生徒という、謂わば「実験の母集団」を持つ状況になってから、この目で・この腕で・この情熱で試してみたいと感じていました。なので、それ以降、この種の話になると、とても興味を持って聴くようになっています。それでは早速本題に入っていきましょう。

<運動神経について>
運動神経については、私が子供の時代は、「あの子は生まれつき運動神経がいいからね」とか、「私は生まれてからこの方、体育関係はちょっと苦手でね」などのように、運動神経について語られる文脈では、遺伝の要素がより強いという風にして語られることの方が多かったかのではと思います。そして今でもそのようにみられている傾向が強いのではと存じます。私のこの問いに対する現状の結論は、「まだわからない」という感じで、結論の保留をしたいのですが、一方で、運動神経は学習次第で効果的に伸ばすことができると言われる方々・理論も存在します。今回のブログでは、「運動神経は学習次第で伸ばすことができる」と言われる方々の理論を一部紹介した上で、改めて私はこの種のテーマに対して、結論保留とは言いながらも、どのように考えているかもう少し詳細に説明いたします。

話は昨年の秋口に遡りますが、とあるご縁があり、biimaSportsのスクール事業の責任者の方とお話をする機会がございました。
同スクールHP☟
https://biima.co.jp/sports/

そのスクールの概要を知ったとき、はじめは大変斬新的だと感じましたが、話をお伺いするにつれて、とても理に適っているという風に感じるようになりました。そのスクールのとりわけ特徴的なポイントとして私が受け止めたのは、冒頭で「運動神経は全く遺伝しない」と言い切っており、ではその運動神経を学習によって効果的に伸ばしていくために、次に掲げる2つ方針でカリキュラムを構成・提供しております。

① 2か月単位で行うスポーツ種をローテーションさせていくこと
② 幼稚園生(3歳児)から小学校3年生(10歳児)までの運動神経が形成される臨界期に位置する顧客層をのみをターゲットとすること

つまりは、4月はスプリント、5・6月はバスケ、7・8月はテニス・・・・1・2月はサッカーといった具合に2か月単位でローテーションし、そして、来年4月になれば、基本的には前年と同じローテーションの順序で学習を繰り返していきますが、同じスポーツ種の繰り返しであっても、螺旋階段を上がるようなイメージでより高次な目標設定でこなしていくようです。そして、それを入会したタイミングから小3が修了するまで繰り返していくわけです。

更に、お話をお伺いしていくと、この特徴的なカリキュラムは、「スキャモンの発育曲線」で明らかにされた考え方を根拠にしているということでした。「スキャモンの発育曲線」とはやはりbimmaSportsさんのHPの該当箇所を再び参照させていただきますが、
https://biima.co.jp/sports/#sec008

簡単に言うと、ヒトの発育領域をリンパ型・神経型・一般型・生殖型の4つに分類した際に、運動神経が該当する神経型の成熟は3~4歳くらいから急激に発達し、10歳くらいまでにはほぼ成人同様に発達している(=逆に言うと、それ以降の学齢からは大きな成長は見込めない)といったものです。

<引用>biimaSportsさんのHPより

ちなみに、リンパ型は胸腺やへんとう腺を、一般型は心臓や肺・骨・筋肉などを、生殖型は卵巣や精巣などを指しています。biimaSportsさんは、ここに目を付けます。つまりは、運動神経の臨界期として信じられているこの3歳から10歳までの間に、何か一つのスポーツに特化させるよりも、極力色々なスポーツを体験させてあげることで、様々な体の部位を使用し、それに付随する神経器官・脳も刺激し、そうすることで、基礎運動能力をより効果的に底上げしようというわけです。

さて、私がこの話を聞いて何となく感じたのは、「確かにそうなのかもしれない。」という感慨です。自身の小中学校の頃の記憶に遡りますが、当時「野球をやる子は野球」「サッカーをやる子はサッカー」「バスケをやる子はバスケ」といった具合に、割とその種のスポーツだけを極めるというような雰囲気があり、野球がものすごい上手な子でも、いざサッカーボールを蹴るとなった際には、普段足を使わないからなのか、空振りしたり、芯を捉えたキックができていない光景を多く目にしました。バスケでヒーロー的な存在の子でも、やはりサッカーになるとどこか不思議な蹴り方をするといった感じでした。一方でサッカーをやっていた子が違うスポーツを行った場合、確かにその道のプロには劣りますが、バドミントンや卓球などのラケット競技も含めて、スポーツ全般的にそれなりにこなしていた記憶が残っています。これはあくまでも私の持論ですが、「サッカー」は他のスポーツに比べて、全身スポーツの感が強いのだと思います。サッカーは「頭からつま先」までを使用し、「手」に至っては「ハンド」というルールがあるように使用禁止となっておりますが、フィジカルコンタクトの際に自分のポジションを優位に確保する上で、実は「手」を巧妙にそして頻繁に使い、スローイングなどでも「手」を勿論使いますので、「手」を含めて文字通りの全身スポーツとなります。従って、色々な身体の部位・それに付随する神経器官を刺激するという意味では理に適ったスポーツで、それ故運動神経のベースが底上げされやすいのではと憶測します。(※このように、スポーツ種でステレオタイプをして、運動神経の有無を論じてしまったことに不快感を示されてしまった方がいましたら大変申し訳ございませんが、あくまでも一個人として経験的に感じたことを記載しています。)

さて、もう一つ、自身の第一子のサッカーの成長具合を見て思ったことですが、運動神経は生得的な遺伝よりも、「広義的意味での学習」に、より影響を受けるのではと感じる経験をしました。第一子は今現在6歳と半年くらいの学齢になっており、年中生になった4歳からサッカーを始めてちょうど2年が過ぎましたが、当初はサッカーに苦手意識を持っていたようです。それを「学習」で以て、克服しているというストーリーをこの後させていただく訳ですが、その核心に入る前に、もう少し時を遡ると、彼が1歳半から3歳半になるまでの2年間、私は実は単身赴任で海外にて暮らしていたので、この間は彼とは外で定期的に運動活動をすることができず、また、帰国して2年半ほども、仕事に追いやられる日々を過ごしていたので、彼の運動面での活動を、土日等に十分にサポートしてあげることがあまり出来ておりませんでした。彼が6歳くらいになってから、妻を通じて、「彼がサッカーに対して、あまり得意でないことにコンプレックスを感じているので、週末などの空いている時間に教えてあげて欲しい」という相談が寄せられました。つまりこの時点までは「彼がサッカーが苦手」であるという事象を、仮に「運動神経が低い」と置き換えた際に、その原因は「生得的・遺伝的」なものなのか、「学習」が十分になされていないからそうなっているのか、そのどちらから起因しているのかが釈然としていない状態であったわけです。

そこで彼と話をして、どうやら彼が「将来プロのサッカー選手になりたい」という夢を持っているということを引き出し、直近の目標として、「数か月後に予定されている対外試合で1点を取る」という目標に立て、その日から2か月くらいの期間で集中特訓を敢行しました。週末には毎回サッカーを練習し、往復2キロくらいのマラソンも取り入れ、YouTubeでは同世代の上手な子の動画を見たりして、練習とイメージトレーニングを重ねました。この間彼は何度か挫折しそうになりましたが、その度に私が最も意識したことは「動機付け」と「ピグマリオン効果」です。どちらも発達・学習理論を勉強していると出てくる専門用語なのですが、「動機付け」としては、「内的動機付け」と「外的動機付け」の分類があり、この場合の練習を投げ出しそうになっている彼に対して、「内的動機付け」では、例えば「将来プロサッカー選手になるためにこの練習をしている」だったり、「2か月後の試合で1点を取るためにこの練習をしている」といったことを彼自身が自分に言い聞かせることで練習に対するやる気を奮い立たせる動機付けであるのに対し、「外的動機付け」では、例えば「練習をさぼったら夕食抜きなどの罰則を与える」だったり、「練習に参加したらおやつをハーゲンダッツのアイスにアップグレードしてあげる」といった形で練習に参加させようとする動機付けであります。私はもちろん「内的動機付け」を重視し、その中では、彼の判断でその日は練習したくないとなった日には、敢えて練習をしなかったということもあり、目標達成に対して極力全てを彼の判断・責任で行うようにしてみました。

また「ピグマリオン効果」については、これも学習理論を学んでいると必ず出てくる用語で、私としても大変「スッ」と腹落ちした考え方であったので、それ以来、常に意識をして指導・育児に当たっていますが、簡単に言うと、「教師の期待値によって学習者の成績が向上する」という考え方です。詳しくは参考URL(下記)☟
https://onotakublog.com/2019/08/21/pygmalion-effect/

をご覧いただきたいのですが、彼と練習をしている間、接している間は、私は彼なら本当にその目標を達成できると心から信じ、サポートしてあげようとしていました。その結果、2か月後の大会では、1点こそ取ることができませんでしたが、準決勝で劣勢に立たされていた後半のある最中、半ば強引な声で仲間からスローイングを足元にいれてもらうと、そのままスピードを落とすことなくタッチライン際をドリブルで駆け上がり、ほとんど角度の無いところから身体を倒しながらも、右足で芯を捉えるシュートした彼を見ることに繋がったんだと思います。纏めになりますが、生得的な遺伝だけでなく、「広義的な学習」もその子の運動神経を向上させるということは、やはり有りそうだと考えており、ここで「広義的」としているのは、ただ単にその子がある指導者から運動技術を習う「狭義的な学習」ということでは決して十分ではなく、その子の「動機付け」にまで焦点を落とした「学習」であったり、そもそもの指導者がどのような心構えで目の前にいる生徒に指導をしているかも含めて「学習」を捉えた時、「学習」は「遺伝」と同じくらい、或いはそれ以上に「運動神経」の向上に優位的に働く可能性があるのではないかと、そんな風に現在私は暫定的な結論を持つに至っております。

今回はここで筆を置こうと思います。次回以降のブログでは、英語(第二言語)の習得を「生得的な遺伝」と「学習(=環境)」の二軸の関係で考えてみたり、一般的な言われている第二言語の臨界期について自分なりに考察してみたり、また、現在巷で流行している「Phonics」とは何か?また、その効果的な導入時期について、持論をお伝えさせていただきたいと思っています。といってもこの種のテーマは、つい去年の暮れに、指導者として第一歩を歩み始めたばかり私が、まさに毎日頭をぐるぐると回しながら向き合っているテーマですので、仮にブログでお伝えさせていただくことが出来たとしても、それは至極暫定的なものであると先にお断りをしておいた方が良いかもしれません。こういったことから、次回のブログでは別のトピックになる可能性もありますので、この点予めご了承ください。

Have a nice day with your beloved family and friends,
Sincerely,
Kei

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